被災地に行かれた方が間伐材ハンガーを被災地に届けてくれました。10,000本のほんとに、ほんとに一部ですが、3組(15本)でも届いてその感想が聞けたことが、ハンガー製作に携わってくださっているボランティアの方々、販売、その他色々ご協力いただいている皆様への感謝と、これからさらに頑張る勇気をいただきました。
今回はS先生より、間伐材ハンガーを直接東北に持って行って下さった方にお願いをして書いて頂いた文章です。この話を皆さんに知ってもらいたいのです。
なぜこんなお願いをしたかと言いますと、電話で東北の話を聞くことができ、ハンガー制作で疲れて迷い始めていた気持ちを元気にしてもらい、最後まで諦めず頑張ろうと思えるようになれたからです。
無謀で大変な数のハンガー制作を毎日、毎日ボランティアで大勢の方が手伝ってくださり福祉施設、団体、企業、木工教室の応援、販売募金のご協力、間伐材子供体験、バザー、学校の交流事業、間伐体験、チャリティーイベント、お祭り、他での活動、金物、木材の協力など沢山の方の応援で間伐材ハンガーができています
初めて3セットのハンガーが東北に届きました。本当に嬉しいです。間伐材ハンガーで皆さんをほんの一瞬でも笑顔にできれば、これが望みです。
東北に行かれた方のお話はこちらから。是非読んでください。
被災地に『間伐材ハンガー』が届きました。喜んでいただいたとお聞きしました。10,000本送るようにこれからもがんばります。もう少し待っててください。
何にも無くなってしまい、何があったか記憶をたどることもできない。これが現実…
実家近く、想像でも思い出せない程何もなくなってしまいました
何から話していいのか…
頭では分かっているつもりなのですが
今でも毎日ネットやテレビで確認してしまいます。
やっぱり本当の出来事なんだ…って。
あの日テレビに映し出された映像は
私の知っている空港や街が津波に押し流され、なくなって行く様でした。
岩手にある母の実家も流されました。
ここも街が消え、何らかの引火により一面火の海になりました。
母の兄弟が消息不明になりました。
私の幼なじみが行方不明リストに載りました。
両親の知り合いがたくさん亡くなりました。
私も友達を亡くしました。
幸い、母の兄弟は10日後に避難所にいることが分かりました。
生きていました。
やっと携帯がつながる様になり
友達と「生きてたんだね」と泣いて喜びました。
家をなくされた方
家があっても帰られない方
津波を目撃した方
一緒に逃げながらも途中ではぐれてしまった方
…
親御さんを亡くされた方
お子さんを亡くされた方
友達を亡くされた方
愛する人を亡くされた方…
心に負った悲しみや苦しみはその方々、それぞれ違うと思います。
その心に少しでも近づけたら、寄り添えたら…と微力ながら想っています。
震災の情報が減って来ていると感じていたこの頃
皆さんの活動を知り、本当に嬉しく思いました。
時間を作り活動してこられたのですね。
先日、仮設にいる母の兄弟や親戚等にハンガーを届けさせて頂きました。
気に掛けてくれるその気持ちが嬉しい、と言っておりました。
被災された方々の時間は止まったままに感じます。
この様な素晴らしい活動が「東北も復活したね」と言われるその日まで
心寄り添い、息長く、色々な所で続く事を祈っております。
最後に
ドリカムの「ねぇ」という曲をご存知でしょうか。
歌は知っていましたが、震災後、初めて歌詞を読みました。
最後の歌詞にはこのような言葉が綴られています。
「どの思い出もあなたの愛と
いっしょだから だいじょうぶ
逝かせてあげなさい
かならず 心から笑える日は
やって来るから 」
時間がいくらかかっても大丈夫。
いつかこの震災で傷ついた皆さんが
心から笑える日が来ることを祈っています。
心に響く文章を本当にありがとうございました。心から笑える日が来るように、今できることをやり遂げたい。みなさん、本当に有難うございます。